パニック障害

あなたを日々苦しめているその症状、
ひょっとして「パニック障害」ではないですか?
実はこの私もそうでした。

初めてパニック発作に襲われた日

    

タカシです。


当ブログについて&私のプロフィール」にもあるように
私自身パニック障害という病気でした。


今回から何回かに分けて
私がパニック障害だと診断されるまでの
経緯をご紹介していきたいと思います。


初めてのパニック発作

私が人生で初めてパニック発作に襲われたのは
大学1年生の春。
高校を卒業して一浪の末入った大学の
入学式へ向かう電車の車内でした。


私の家の最寄駅から大学の最寄駅までは
電車で約1時間くらい掛かるのですが
パニック発作が起きたのは
電車に乗ってから50分くらい経ち
各駅停車への乗り換え駅の
1つ前の駅を発車した直後のことでした。


車内は満員というほどではないものの
座席は空いておらず
そこそこ混んでいました。


そこまで40分以上電車に揺られていて
「次の駅でようやく降りられるな」と
少し安心したところで
急に胃の辺りがムカムカと
気持ち悪くなり出しました。


「・・・あれ、おかしいな?電車に酔ったかな?」


その時はそんなことが頭をよぎりました。


しかしよくよく考えてみると
私は高校の時も3年間電車通学でしたが
「電車に酔った」という経験はありません。


と言っても高校の時はもっと短い距離だったので
長時間電車に乗ることに慣れていないから
こんな風になるのかな、とも思いました。


「ちょっと嫌な感じだけど次の駅まで我慢しよう」


そう思って何とかやり過ごそうと
出来るだけ窓の外の遠くを眺めて
酔わないように努めました。


やがてみぞおちの辺りがスッと冷たくなり
額や手のひらにしっとりと汗が滲んできました。
ますます嫌な予感が頭をよぎりましたが
何とか不快な状況を脱することが出来ないか
あれこれ考えを巡らせました。


「そうだ、慣れないネクタイとスーツのせいだ!」


私はそう思ってネクタイを緩めて
ワイシャツの1番上のボタンを開けると
パタパタと仰いでシャツの中に空気を送りました。


それでも汗は引かず、
胃やみぞおちの不快感も消えないので
今度はズボンのベルトを少し緩めました。


体を締め付けているものから解放すれば
血の巡りが良くなって治るのではないか?
などど思ったからです。


「なんだろうな~この感じは・・・
昨日の夜、緊張であまり眠れなかったせいかも」



「いや、受験が終わってしばらく夜型の生活で
急に朝型に変えたから調子が悪いのかも」



「季節の変わり目で気温の変化が激しかったから
風邪をひいているのかも」



内心少し焦りながらも
私は体に生じた「異変」の
原因を特定しようと必死でした。


そこで原因を特定したとしても
症状が軽くなったり
消えたりするわけではないですけどね。


そのうち呼吸が段々と荒くなり
心臓が激しく動くのを感じました。
口を開けずには呼吸が出来ないほど
息も苦しくなってきました。


「あれ?これはちょっと洒落にならんぞ・・・」


何をやっても状況は改善しないばかりか
そうなる原因も特定出来ないことに
私は少しずつ、確実に焦り始めていました。
そしてどんどん冷静さを失っていくのがわかりました。


この辺りからは
てっぺんまで上り詰めたジェットコースターが
真っ逆さまに落ちるかの如く
急激に症状が悪化していきす。


汗はしっとり滲むというレベルを超え
額や首、背中の毛穴という毛穴から
珠のような汗が噴き出し
それが滝のような流れを作り
ボタボタと下に落ちていきました。


「ヤバい!心臓発作で死ぬのかもしれない!」


その時の私は本気でそう思いました。
そう思うのも無理はないほど
今まで経験したことのない勢いで
動悸と息切れ、発汗が起きたからです。


同時にここで私は


「ここで倒れたら周りに迷惑が掛かる」


ということも考えていました。
自分が苦しいのは仕方ないにしても
人様に迷惑を掛けるのはまずい・・・
それだけは何としても避けねばならん、と。


必死に吊り革につかまり歯を食いしばり
顔を自分の二の腕にうずめて
次の駅まで耐えようと決めました。


さすがに周囲の人が私の異変に気づき
ひそひそ話しをしながら
遠巻きに様子を伺うような感じになりましたが
特に声を掛けられることはありませんでした。
(良いんだか悪いんだか、ですが)


やがてえづくような咳が急に出て
より呼吸をするのが苦しくなりました。


私は立っているのが辛くなったことと
徐々に注目を浴びつつあるその場から
離れたくなったことから
扉のある場所まで逃げるようにして向かい
扉にもたれかかるようにして座り込みました。


「頼むから早く駅についてくれ・・・」


という私の祈りが通じたのか
車内にはまもなくの駅への到着を知らせる
車掌のアナウンスが流れました。


扉に両方の手のひらを掛け
つかまるようにして立ち上がり


「早く早く早く早く早く・・・」


と必死の形相でお経のように呟いていました。


たぶん周囲の人からすると
かなり不気味だったことでしょう。


この時の私の心境は
混雑した電車の中で
これ以上醜態をさらけ出したくない、
とにかく逃げ出したい、という感じだったと思います。


やがて電車が駅に到着し扉が開くと
私は転がるようにしてホームに降りて
すぐそばのベンチに座り込みました。


電車の中にいる時は
ものすごく暑かったのですが
ホームに降りた途端に吹き抜ける風が
火照った体に妙に心地良かったのを
ハッキリと覚えています。


ようやく人目から逃れられた、
という気持ちと


車内で吐いてしまうのが
何よりも1番怖かったので
それだけは避けられた、
という気持ちから
気分的にも少々落ち着きを取り戻しました。


ベンチに座り込みながら
じっと苦しみに耐えていましたが
時間と共に少しずつ収まってきて
20分程度経過したところで
すっかり元通りの状態になりました。


「何とか助かった・・・生きてるぞ」


症状が収まった時は大げさでなくそう思いました。
電車の中での動悸、呼吸、発汗の激しさは
本当に死ぬかと思うくらい焦りましたので。


目の前に広がる真っ青な空に満開の桜
うららかな太陽の光とさわやかな風
全てに感謝を捧げたい、そんな気持ちにもなりました。


そのくらい元の自分に戻ったことが嬉しかった、
ということです。


その後売店で冷たいお茶を買い求め
飲みながらしばらく休憩して様子を見ましたが
大丈夫そうだったので大学へ向かいました。


入学式を終えると
逆方向の同じ電車に乗って自宅へ帰りましたが
帰りの車内では何も起こらず無事でした。


その後しばらくは体調を注意深く観察していたものの
同じようなことは特に起きませんでしたし
熱が出たり頭痛がしたりといったような
風邪のような症状もありませんでした。


「あれは一体何だっだのだろうか・・・」


そう思い悩んだこともありましたが
すぐに大学が忙しくなったということもあり
いつの間にか忘れてしまいました。


これが私の人生で
最初に経験したパニック発作の顛末です。


もちろんその時は
これがパニック発作などとはわかりませんでした。


そもそもパニック発作という言葉も
パニック障害という言葉も知りませんでした。


これは1993年頃の話しなので
医療の現場でもパニック障害という病名は
専門医以外は知らなかったのではないかと思います。


私がパニック障害という診断を受けたのは
それから約13年後の2006年頃のことです。
その時に自分の人生を振り返ってみて
ようやく病名と症状が一致した、という次第です。


次に私の身にパニック発作が起こるのは
何と2003年の春頃のことになります。
つまりこの時からちょうど10年後です。


その時の話しは・・・いずれまた。



パニック障害を克服!無料メール講座はこちら


パニック障害を克服!無料メール講座

サブコンテンツ

このページの先頭へ